"ふつう"が一番むずかしい

ラクしていきたい。

感情にまつわる悪癖

こんばんは、やみーです。
ここのところ内省期間で、独白めいたブログの使い方をしております。
シングルマザーゆえの面白い話が書けたらいいんだけどなあ。
せめて可愛げがあったらいいのになあ。
ないんだなあ、これが。

本日は、感情にまつわる悪癖について内省しているところ。
といいますのも、人間関係がこじれる原因は、感情を律しようとするからなのでは?
と思ったからです。

まずは、プライベートの悪癖

冷静じゃないと正しく判断できないとばかりに、いつも「冷静であるように」意識して、感情より思考を優先しようとする。

これがわたしの呪い。

子どもの頃、うまくいかなかった時に、感情を抑えて冷静に対応した成功経験が尾を引いているんだろうけど、感情を意識して振り回されてる証拠なんだと思う。

一見物分かりはいいけど、感情に鈍くなっているだけ。
ある程度蓄積したところで、器から水が溢れるように、思い出し悲しみや思い出し怒りが発動するのに、発動してもなお「冷静に対応しなくちゃ」と、自分を律しようとするから、思考と感情がもつれあって、こんがらがる。

感情が昂っても最後には理性が勝つので、感情をぶつけるわけでもなく、そっけない態度で接して突き放すから、愛着や思い入れがないように感じさせるみたい。

雄弁に語るよりも、感情をストレートにぶつけたほうが、伝わるんだと思う。

仕事の悪癖

仕事をする上で、感情的になると「仕事を遂行する上で課題が多い」と思われるし、感情メインでうだうだと話すと迷惑がられる。己を律し、自分が不安でも、メンバーの前では自信ありげに方向性を示し、責任は取るという。

そんなポジションだからか、不思議なことに、他人に対して共感性がムクムクと湧いて、メンバーや周りのやりたいことを優先してしまい、自分が一番大変だったり経験値にもならない案件を背負うことになる。

そんなことをしていたら、「一人で背負って潰れるアトラス型*1は一番タチが悪い」と言われたことがある。
周りの人に頼っていこうと思ってるんですけど、残業が発生することが目に見えていたりすると、いらん責任感でどうしても私がやった方がいいんじゃと思ってしまう……。

仕事の絡みでメンタル病むほどは弱くないんですが、こういう時こそ冷静になろうよ。
感情に振り回されるとこじゃないよ。

どうして他人を背負おうとするの?

自分の感情を誰かに大切にしてほしいから、自分がされたいことを他人にしてしまうのかも。それでね、「やみーもやりたいことをやっていいんだよ」と言われたいのかもしれない。

関係性がいいからお願いしたら協力してもらえる点は良いと思ってるし、心理的安全性の高いチームを作れてると思う。
だけど、わたしの気持ちを誰かが汲み取ってくれるわけじゃない。
ということは、わたしも感情労働しなくてもいいのかもしれないね。

類は友を呼ぶ

結局、仕事でもプライベートでも「冷静であれ」という呪いが原因で、他人を優先してしまう。感情労働するくせに、自分のことになると「スンっ」と感情をひっこめる。

実は、こういう人を何人か知っている。
元夫もそんなところがあった。
誰も望んでいないことをやっては感情をすり減らし「自分はこんなにやっているのに」と思い詰めたのか、そのうちブッ壊れた。
「自分が正しい」という思いから、周りにいる人たちを否定して罵り、コミュニケーションが取れなくなった。
繊細な人ほど、ガラスのように壊れてしまうと、人を傷つけてしまうんだと思う。

現パートナーも誰かを思って無理するタイプ。
いまだって体調が悪くても無理するし、自分ならできるからと、仕事も背負う。
最後は、物理的にぶっ壊れるタイプだと思う。


自分の感情を後回しにする人は、他人の感情を優先する人と寄り添って生きたくなるのかもしれないね。

だって、誰かに察してほしいんだもの。
誰かに、優しくして欲しいんだもの。
自分が頑張っていることに、気づいて欲しいんだもの。

人は自分の鏡を求めてしまうのかなあ。

▼私の知力ではとても表現できませんでしたが、こういうことなのかもです

*1:Wikipedia:アトラスは巨躯を以て知られ、両腕と頭で天の蒼穹を支えるとされる。 名前は「支える者」「耐える者」「歯向かう者」を意味する古印欧語に由来する。