"ふつう"が一番むずかしい

ラクしていきたい。

不幸そうな私の「しあわせの条件」

離婚成立から早5ヶ月。

やっと生活が落ち着いてきた気がしてます。

去年はスリリングな昼逃げ、ドタバタ生活、か〜ら〜の離婚調停でストレスフルな日々を過ごしていました。年末に離婚調停が成立したとはいえ、実は財産分与が終わっていなかったんですよね。

でも、とうとう終わりました。終わっちゃいまいた。

結婚生活をしていたとき手にしていた

  • 二馬力ならではのお金
    • 服を買うお金があったり
    • 悩まずに高めのランチが食べれたり
    • 中学受験考えられたり
    • 旅行に行けたり
    • 悩まずに習い事させてあげられたり
  • 日当たりのいいキレイなマンションに住める
  • (パッと見)優しそうで素敵な旦那さん
    • 結婚してるから独身市場に躍り出なくていい
    • 結婚しないの? 再婚しないの? とか聞かれない

みたいなものは全部なくなってしまったけど、こういうオプションって「しんどい環境にいてもいいこともあるしトレードオフでしょ?」と、自分を納得させるために必要なだけでした。

失ってみると、実は生きる上で必要なモノなんてほんの一握りで、贅沢しなくても笑って過ごせるんだとも気づきました。

信じていた人に傷つけられる方が、何も持っていないよりしんどかったんだねぇ。 

不幸そうな私の「しあわせの条件」

私の「しあわせの条件」はたいしたことじゃなかった。

パッと見爽やかで優しい旦那様が居ることよりも、安心安全が守られてる方がしあわせ
自分のテリトリーの中に理解できない異分子がいるよりは、いない方がしあわせ。

私の場合、しあわせ=安心なので、そこを基準にして生きたらいいんだろねぇ。

今まで囚われていた呪縛から、徐々に解き放たれている感覚があって、すっかり肩の力も抜けちゃったみたいです。

等身大の自分で生きられることもしあわせ。

誰かに好かれるために、着ぐるみをまとう必要がないこともしあわせ。

自分らしく息が吸えるしあわせ。

自分の考えで行動できるしあわせ。

出来る人にとっては、当たり前のことなのかもしれないけど、私は気づくまでにかなりの時間を要してきたので、忘れないようにしたいと思った今日この頃でした。