"ふつう"が一番むずかしい

ラクしていきたい。

いまさら元夫のことがなんかわかってきた

自分と価値観の違う人のことを知ると、芋づる式に、また別の人のことがわかってくるという不思議な体験をしております。

そう、いまさら元夫のことがわかってきた気がする。

元夫と家庭をつくろうとしていたあの頃、わたしはまだまだ若くって、好きな気持ちでいっぱいで、相手のことをよく理解できていなかったと思う。 元夫は元夫で、「ちょっと気に食わないところはあるけど、結婚したら治るんじゃないかな」と期待していたようなことを言ってた記憶がある。

元夫といえば、私の中では「舌打ちして、暴言を吐いて、娘を叩く、ハラスメント野郎」な印象しかないのですが、相手の愛情表現を私は理解できなかったんだろうな。

相手にとっては「自分にとって嬉しい何か」をしてあげることが愛情表現で「自分はアレコレしてあげてるのに、どうして?」と思ってたのかもしれない(ただしそれを相手が望んでいるかは別の話ね)。

私が「言葉以外」をあまり受け取れないように、行動で愛情を示す人は行動による愛情しか受け取らないんだと思う。さらには言動ではなく行動に傷つくんだね。

たしか「おまえらは、行動で傷つけてきた」と怒鳴ってた記憶があって、元夫にとって何が傷つく行動だったのかは、ふわっとしかわからないんだけど、娘が片付けなかったりワガママ放題だったりすることは非常に怒っていて、私がそんな娘を庇っていたからとんでもなく怒ってた気もする。相手の期待を裏切ることが傷つけることに繋がっていたのかも。

結局のところ、お互いが受け取れない方法で愛情を表現して、互いに傷つけ合って、それがエスカレートして、暴言や暴力に発展してしまったんだろうかねぇ。

元夫にとっては暴言を吐くことも暴力を振るうことも、自分が正しいと信じているからこその「愛」で、だからめいっぱい愛を与えていたのに、どうして居なくなったのか意味がわからないのかあと思ったら、ちょっとかわいそうになりました。

その愛しかた、届かないから。 本当に届かないから。 傷つくだけだから。

やられてる側からすると、自尊心も自己肯定感も下がって、動悸がしたり落ち込んだり不安になったり苦しくなったり泣いたりしてさ、相手から幸せを感じる機会を奪って、追い込む行動で、あなたにとってそれが愛だとしても、私の世界では「嫌い」って言ってるのと等しいから、届かないんだよ。

モラハラの思い出も、結婚に失敗したという記憶も、こうやって「なんで上手くいかなかったのか」探って、腹落ちすることを繰り返すことで、自分の中で昇華されていく気がしてます。 相手を責めて終われる性格なら、生きるの楽だったのかねぇ?

▼2と3に当てはまるんだよねぇ ▼怖すぎました

▼今日の気持ちはこれかな!